檀れい宝塚時代のバッシングとは?及川光博と離婚も子供いるのか!

檀れいさんと及川光博さんが離婚を発表しました。

檀れいさんと及川光博さんはこれまでも何度も離婚危機が報じられましたが、結局は離婚には至っていませんでした。

ついに離婚を決意した理由は?

檀れいさんと言えば、宝塚出身ですが、宝塚時代に大変なバッシングを受けていたそうです。

檀れいさんと及川光博さんの結婚から離婚まで、子供がいるのかや、檀れいさんの宝塚時代の壮絶なバッシングとはどんなものだったのか調べました。

檀れい宝塚時代のバッシングとは?

檀れいさんはが宝塚時代バッシングを受けていたと噂を調べみたところ、実際にバッシングに苦しんでいた時代があることが分かりました。

宝塚の中で檀れいさんは孤立し、毎日泣きながらメイク室で卵かけご飯を一人で食べていたという話があります。

また、ファンレターの中にカミソリが入っていたり、楽屋から出るときに、ファンに足を引っかけられたりということもあったようです。

なぜ宝塚の人間やファンからまでもバッシングを受けるようになったのでしょうか。

きっかけとなった出来事について調べました。

檀れいの宝塚時代バッシングを受けた理由

その出来事は1999年に檀れいさんが月組のトップ娘役に抜擢されたことだったようです。

当時月組のトップスターとして絶大なる人気を誇っていた真琴つばささんの相手役となったのですから、いろんなところからの嫉妬やバッシングは免れないかもしれません。

ただ、檀れいさんではなく相手役に選ばれると目されていた檀れいさんの同期がいたのです。

その方は千紘れいかさんといって、歌も踊りも上手だと評判の娘でした。

しかし、選ばれたのは檀れいさん。

ショックを受けた千紘れいかさんは、内緒で劇団四季のオーディションを受け宝塚を辞めてしまったのです。

結果として檀れいさんが千紘れいかさんを追い出す形となってしまい、バッシングを受けたということです。

檀れいさんが選ばれたということは、檀れいさんのほうが魅力的であったのだろうし、

仕方がないことのように思えますが、悲しいことですね。

檀れいを宝塚時代いじめたと公言した宝塚スターとは

徹子の部屋に元宝塚スターたちが出演した際に、女の世界なので裏が怖いのではという質問に対して、

「私がいじめた経験は檀れいさんしかいないです! 泣かせました!」と言い放った女性!

それは真琴つばささんでした。

それに対し、檀れいさんは、「厳しい先輩だったけど根底に愛情があった」とフォローしていましたが、表情には陰りが見られました。

実際、孤立して苦しんでいた檀れいさんを真琴つばささんが食事に誘って励ましたりしていたとのことです。

そして真琴つばささんの言葉に救われた檀れいさんが、「私と仲良くしてください」と話したところ、驚きの返事が返ってきたそうです。

真琴つばささんは「あなたとは仲良くしたくない」という言葉を返したのです。

唯一の救いだと思ったのに、この言葉は辛いですね。

真琴さんによると、「仲よくなりすぎてしまうと、緊張感が保てなくなり、いい舞台ができなという思いだった。」と語っています。

宝塚時代のバッシングやこの出来事は、檀れいさんのトラウマとなっていて、真琴つばささんとの会話で思い出されてしまったのでしょうね。

しかし、きっと真琴つばささんは真琴つばささんでトップスターとしての葛藤があったのでしょうし、でも何かできることと思って宝塚時代檀れいさんに接していたのではないでしょうか。

檀れいと及川光博の結婚・馴れ初めは?

檀れいさんと及川光博さんの馴れ初めは、ドラマの共演だったそうです。

及川光博さんといえば、ドラマ「相棒」シリーズで、2代目相棒の神戸尊役を演じていることで有名ですね。

2010年に放送された、この相棒の元旦スペシャルに檀れいさんが、出演したことをきっかけに、2人は意気投合して交際に発展しました。

つまり、この元旦スペシャルの収録が行われた2009年秋ごろから交際がスタートしたようです。

そして約1年の交際を経て、結婚します。

この1年の間に喧嘩して連絡を取らない時期もありましたが、40代に差し掛かるころというタイミングでの出会いに二人とも結婚を意識せざるを得なかったといいます。

ミッチーは王子様キャラだったこともあり、結婚によるイメージでファンが離れないかという心配がありましたが、相棒の共演者である水谷豊さんからの後押しもあったそうです。

「相棒」が二人のキューピッドだったのですね。

檀れいと及川光博子供はいるの?離婚理由は?

8年程の結婚生活を経て、離婚することになった檀れいさんと及川光博さん。

2人に子供はいるのでしょうか。なぜ離婚に至ったか調べてみました。

まず檀れいさんと及川光博さんに子供はいませんでした。

そして、離婚理由について報道では「仕事に集中するあまりゆとりが持てなくなった」とコメントを出していますが、ほかにどんな背景があるのか調べてみました。

まず、檀れいさんは生い立ちがやや複雑なようです。

壇の両親はともに養子で、母は親戚の家の養子、父はその婿養子。壇の家は跡継ぎを残すことに強いこだわりがあり、妹や弟がいたにもかかわらず、長女である彼女が家を出て宝塚に入ることに祖父母が反対していたという。だが、母親だけは彼女を応援し、見事に彼女は宝塚音楽学校の門を叩くことができた。ところが、長きにわたって「家」のためだけに生きてきた母が、投資家の男性と突然の駆け落ち。壇と妹は母について行き、継父のことを本当の父のように慕っていたという。

ただ、継父は多額の負債を抱えていたため、壇は宝塚でスターになってからの収入をほとんど母たちへ送金していたそうだ。その継父が2004年に他界し、翌年、壇は宝塚を退団して母・妹と共に東京で暮らし始めた。母も体の弱い妹も働くことができず、やはり壇が一人で一家を支えていたという。

引用:壇れい悲痛!! 自己中・及川光博に「もう耐えられない」離婚間近

このような背景があり、檀れいさんは結婚後、及川光博さんに自分の母親のことや老後のことについて相談していたそうですが、及川光博さんの返事は檀れいさんの納得いくようなものでなく、意見が相違から亀裂が入っていたそうです。

大切な母親を一緒に支えてくれないとなったら、複雑な生い立ちな檀れいさんならなおさら辛かったのはないでしょうか。

これまで離婚を踏みとどまったのは、CMのイメージから離婚は避けるようにとの事務所からの釘差しなどもあったのかもしれませんね。

檀れいプロフィール

檀れいさんの本名は及川まゆみさん。
1971年8月4日、兵庫県出身です。
血液型はA型、身長は162cmです。
1990年に宝塚音楽学校に入学、1992年第78期生として宝塚歌劇団に入団します。
初舞台は雪組「この恋は雲の涯まで」です。
1998年「浅茅が宿」で初のヒロインを演じ、その翌年には月組トップ娘役として真琴つばさの相手役を務めます。
2003年からは星組トップ娘役で湖月わたるの相手役として「王家に捧ぐ歌」「花舞う長安」などで活躍しました。

2005年宝塚歌劇団退団の翌年2006年12月には映画「武士の一分」で映画デビューを果たし、日本アカデミー賞優秀主演女優賞などの映画賞を受賞します。

その後も順調にドラマやCMをこなしています。

現在の所属事務所は松竹エンタテインメントです。

「檀れい宝塚時代のバッシングとは?及川光博と離婚も子供いるのか!」まとめ

いかがでしたでしょうか。

華やかな宝塚出身の檀れいさんと、王子キャラの及川光博さんは美男美女でお似合いのカップルでしたが、残念ながら離婚してしまいましたね。

檀れいさんは意外に複雑な家系で育ち、宝塚時代も抜擢される力を持っていたが故、バッシングを受けたり、苦労していたことが分かりました。

また檀れいさんに子供がいるのかということについては、及川光博さんと結婚したのも遅かったですし、それ以前にも子供がいるという事実はありませんでした。

こうしてみると波乱万丈の檀れいさん。

及川光博さんと離婚したことでこれからどうなっていくのでしょうか。