大久保嘉人移籍金は?失敗といわれるのはなぜか!

大久保嘉人選手が、川崎から磐田にまた移籍しましたね。

大久保嘉人半端ないと話題になっています。

今回の移籍金はいくら?

度重なる移籍は失敗と言われるのはなぜ?

今回は大久保嘉人選手の移籍金、これまでの移籍歴や失敗と言われるのはなぜか理由も調べてみました。

大久保嘉人の移籍2018

川崎から磐田に移籍を発表した大久保嘉人選手は、6月30日、川崎市の等々力陸上競技場で行われた川崎のファン感謝デーに来場し、ファンに別れを告げました。

オープニングのメインステージでは、自ら壇上に立ち、以下のように挨拶しています。

 「自分の口から報告できればと思い、きょう来させていただきました。出戻りで戻ってきて、半年で出るのは申し訳ないと思いますが、この年で、止まれないと思い、前に進まないと行けないという気持ちが強かったのでこの決断をしました」

大久保嘉人選手は、昨季F東京に移籍し、今季復帰したばかりでした。

なぜ今回の移籍に至ったのでしょうか。

大久保嘉人選手は、オファーを受けてから「3週間以上悩んだ」といいます。

大久保嘉人選手には、Jリーグ通算200ゴールという目標があり、あと19ゴールに迫っています。

そこで、試合に出ていなければという思いが強く、出番を求めて、J5クラブ目となる新天地に活路を求めたということです。

大久保嘉人選手は、この日は磐田の練習を免除されて川崎を訪れていました。

普通は移籍してから前のチームのところに来ることなんてできないそうですが、大久保嘉人選手のあいさつに、川崎ファンの温かい拍手と声援を受け、新天地と古巣の両方に感謝の気持ちを話していました。

大久保嘉人の移籍は失敗といわれるのはなぜか

大久保嘉人選手は川崎フロンターレに移籍するときも、FC東京で契約期間を1年残して移籍を決意しています。

このFC東京には、川崎フロンターレから2017年シーズン前に移籍したばかりでした。

この移籍当時や、結局出戻る形になってしまったときも、移籍は失敗だったのではと、Jリーグファンの間で話題になりました。

大久保嘉人選手は短期間で移籍をくりかえしているようですね。

ややこしくなってきたので、後ほど大久保嘉人選手のこれまでの移籍と成績についてまとめてみたいと思います。

大久保嘉人選手は川崎フロンターレに移籍して以来の3年間、Jリーグ史上初の三年連続得点王を記録する活躍をします。

このころ大久保嘉人選手は、名実とも日本Jリーグ界のトップストライカーとして存在感を示していました。

契約期間である4年間を全うし、東京FCに2年契約で移籍しました。

ちなみに、その時の理由としては、「東京FCからの熱意に心打たれ、また、現状に甘んじるのは自分らしくないから」とのことでした。

そして、東京FCでの成績は、28試合に出場して9得点を記録します。

移籍1年目にしてはまずまずの成績なのですが、このFC東京は、良くも悪くも小器用なチームで、攻撃重視の大久保嘉人選手とチームに根付いたバランス重視の意識に対するズレが生まれてしまったようです。

それに加え、2018年はワールドカップイヤーということもあり、得点というわかりやすい形でアピールし、年齢的にも最後のチャンスとなる、ワールドカップ日本代表に選出されることを狙って移籍を急いだのではないかと言われています。

当時も移籍は失敗だったなど様々な物議を醸していましたが、2018年ワールドカップ日本代表には見事選出されたわけで、そういった意味では失敗ではなかったのではないでしょうか。

続いて、大久保嘉人選手のこれまでの移籍と成績について、ご紹介いていきたいと思います。

大久保嘉人の移籍と成績推移

高校サッカーの名門長崎国見高校で、インターハイを10得点、高校サッカー選手権では8得点という輝かしい記録を残した大久保嘉人選手。

それぞれ得点王に輝くとともに優勝を成し遂げており、その他に、国体も優勝しています。

圧巻の高校3冠を成し遂げたチームの中心選手として2001年にJリーグ セレッソ大阪に入団します。

そして、セレッソ大阪での実績が認められ、2004年スペイン1部リーグ RCDマヨルカに期限付きで移籍。

しかし、2シーズン過ごしたものの、徐々に途中出場や出場機会そのものに恵まれなくなり、2006年には古巣であるJリーグセレッソ大阪に復帰します。

なお、セレッソ大阪がJ2に降格したことにより、2007年にはヴィッセル神戸に移籍し、2シーズン過ごします。

そして、ドイツ1部リーグ ヴォルフスブルクの監督からの要望により、2009年にはVfIヴォルフスブルクに移籍します。

しかし、またもや出場機会に恵まれず、獲得を要望した監督の退任もあり、一年という短い期間で古巣であるヴィッセル神戸に復帰します。

そのまま4シーズン過ごしたものの、ヴィッセル神戸側の方から移籍を勧められ、2013年に川崎フロンターレに移籍します。

川崎フロンターレでは、移籍したシーズンから史上初の三年連続得点王のタイトルを獲得し、契約満了にともない2017年にFC東京に移籍しました。

ちなみにFC東京に移籍した時の移籍金はなんとゼロ円だそうです。

FC東京で契約期間を1年残して川崎フロンターレに出戻り移籍、そして今回川崎フロンターレから出番を求め、磐田に移籍した、という経緯です。

なにか振り回されているような、不運なようなところもある気がしますが、本人もよりよい環境を求めて前に進む、向上心の強い印象がします。

Jリーグ 一部   セレッソ大阪での成績

2001年 24試合 3得点

2003年 32試合 20得点

2004年 25試合 15得点

※復帰後

2006年 21試合 6得点

Jリーグ 二部   セレッソ大阪での成績

2002年 31試合 19得点

スペイン リーガ・エスパニョーラ 一部 RCDマヨルカでの成績

2004~2005年  13試合 3得点

2005~2006年  27試合 3得点

Jリーグ 一部   ヴィッセル神戸での成績

2007年 38試合 15得点

2008年 32試合 12得点

※復帰後

2009年 20試合 9得点

2010年 18試合 5得点

2011年 32試合 9得点

2012年 30試合 6得点

ドイツ ブンデス・リーガ 一部   VfLヴォルフスブルクでの成績

2008年~2009年 11試合 0得点

Jリーグ 一部   川崎フロンターレでの成績

2013年 45試合 33得点  得点王

2014年 37試合 20得点  得点王

2015年 39試合 27得点  得点王

2016年 39試合 20得点

大久保嘉人選手のプロフィール

名前     大久保嘉人

生年月日   1982年6月9日(34歳)

出身地    福岡県京都郡苅田町

身長     170㎝

血液型    A型

所属チーム  磐田

幼少期は、父親が購入したペレやディエゴ・マラドーナのビデオを繰り返し見たり、父親と一緒に釣りをしたり、野球をしたりしていました。

小学校3年生の時に、苅田サッカースポーツ少年団に入団し、本格的にサッカーを始めます。

当初はストッパーで活躍していましたが、小学6年生時にはフォワードになりました。

小学校卒業後は、長崎県立国見高校の小嶺監督が中高一貫でサッカーを指導するために作った『小嶺アカデミースクール』に入ります。

国見高等学校に進学2年生で、レギュラーを奪取します。

そして3年生時にはインターハイ、国体、全国サッカー選手権大会でいずれも優勝、高校三冠を達成します!

インターハイでは10得点、高校選手権では8得点と得点を挙げ、大会得点王になりました。

大久保嘉人移籍金ゼロとはなぜ?

サッカーの移籍金というと、「数十億円」というのがよく報道されます。

なぜ大久保嘉人選手は「ゼロ円」で移籍したのでしょうか。

そもそもサッカーの世界では「移籍金」というのは厳密には存在しないのだそうです。

正式には「違約金」が存在し、契約書には「移籍金」の文字は一切ありません。

どういうことかというと、サッカーの世界では3年契約なら、3年経ちその契約が切れれば、自由にゼロ円で移籍できるというシステムなのです。

3年連続得点王の大久保嘉人選手がゼロ円で、川崎フロンターレからFC東京へ移籍したのも、川崎フロンターレとの契約が切れたからです。

大久保嘉人選手のプレースタイル

大久保嘉人選手は、フォワード、トップ下、ボランチ、サイドハーフどこでも出来る選手です。

ゴール前でディフェンスとの駆け引きが得意で、ディフェンスを置き去りにするプレーは見どころです。

「FWが必ずしもDFに体をぶつける必要が無い」、「相手に掴まらない様に駆け引きに勝ってフリーになれば良い」という考えを持っているのだそうです。

そんな大久保嘉人選手の魅力のつまった2015年リーグ戦の、全ゴールシーンの動画がこちらです。

出典:YouTube

大久保嘉人移籍金は?失敗といわれるのはなぜか!

大久保嘉人選手が、大活躍を続けてきた川崎フロンターレを再び出て、磐田へ移籍する事が決まりました。

今回の移籍にも「なぜ移籍したのか」「移籍は失敗だったのでは」との声はつきものかもしれませんが、大久保嘉人選手のチャレンジ精神を応援したいですね!

そして、Jリーグ通算200ゴールという目標を成し遂げて、大久保嘉人半端ないって!と言われる日がくるのが楽しみですね!

あなたは大久保嘉人選手の移籍についてどう思いますか?

よろしければコメントしてみてくださいね。

コメント

  1. 橋本千恵子 より:

    川崎フロンターレで今季本当に出場機会少なかったし、所属が他のチームだったとしても元のチームのチームメイト達も外から見る立場として色々吸収出来るから移籍して良かったかも知れませんね(笑)
    ジュビロが強くなればフロンターレも強くなれるし